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大桑の地名

市洞・いちぼら

 

栢野・かやの

 

六反・ろくたん

 

市場・いちば

 

高札・こうさつ

 

斧田・おのだ

 

雉洞・きじぼら

 

その他

★わたしたちのふるさと大桑!

私たちの住んでいる「山県市大桑」は山県市のほぼ中央に位置した、広く雄大なところです。
山県の町から、北に数km離れているだけなのに、秋は霧につつまれたり、冬は雪が意外に多く降ったり、自然の特色をいろいろもっています。
大桑を地図で表すと、その形が桑の葉っぱのような形をし、山と山の間に洞がいくつもあり、それらの洞は葉っぱの葉脈が葉の先に向かっているように山の奥へと入り組んでいてその様子も、桑の木の葉っぱに似ているということから、『大桑』という地名になっているのではないか、とも言われています。

『大桑』と言うと、「あ~、昔、城があったところだね」とよその人が返事をされるように、ここに城が造られたことによって大きく発展したところです。

今、私たちが「しろやま」といっているあの山の山頂に城が造られたことで、多くの人が住み、人の行き来に合わせて道が出来、お寺もたくさん建てられ、山県の中では最もにぎわう町並みであった様子がうかがえます。
では、それよりもっと前はどんなようすであったかと調べると、大桑にも、古墳が数個見つけられています。

そこからも大昔からここに人が住み着いていたことが分かり、人々は山と田のあるこの大桑で、けものをとったり、米を作ったりしながら、自然からの収穫で生き続けてきました、武士の世の中になってからは、商業も加わって城下町まで作られていたようです。

大桑小学校の裏にある道が当時の大通りで、殿様やお坊さんたちが大桑城と南泉寺とを行き来していたとか、市場には宿屋もあって繁盛していたという話も残っています。

旧美山町や旧伊自良村から、峠を越えて人々がたくさん大桑に来ていたのもこのころでしょう。
しかし、城を攻め滅ぼされたあとは、これまでのにぎわいは、灯が消えたようになくなり、山と畑と田とをたよりに生活をする村となりました。

交通がやや不便であるとか、山が多くて大規模な農業も出来にくい土地であるとか、地形の条件は厳しいのですが、そんな中で、日本のどこにもない「利平ぐり」を創り出すこと、「ミニ四国八十八ヶ所巡り」を作り上げること、カタクリの花を育てることなど、
大桑の人たちは、その後も大桑の大自然をいかし、工夫と努力によって、自分たちの生活を高めてきました。

そして、それは、大桑のためだけではなく、広くみんなの生活に役立つものになっています。
赤尾公園の辺りから、香り会館に通ずるまっすぐな広い道ができていて、車の行き来にとても便利になっています。

あの道も「これからはこういう広い大きな道が必要である」と考えて、努力した大桑の人々によって、作られたのです。「しろやま」の登山道も大桑の人たちが整備をしてもらえるから、みんなが楽しい山のぼりをすることができます。

まもなく、東海環状自動車道が延伸し山県市にもインターチェンジが出来、イオンビッグも2015年夏オープンを迎え、山県市の盛り上がりに合せこの大桑もアクセスが向上すればまた、人々を魅了する自然と史跡を活かした案内により知名度も上がり、活気ある町に変わるような気がします。

魅力ある大桑に移住したくなるような環境作りも考えていきます。
 

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